マイナーゲームマスター 略して
MGMへの道

Contents(Page 1)
始めに・・・

第1章 マイナーゲームとは?

第2章 ナムコミュージアムの意義

第3章 売れる続編 売れない続編

外伝−−−あなたのMG度チェック

第4章 ゲームミュージックの在り方

第5章 パッケージイラストのインパクト
 
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始めに・・・

 ゲーム大国日本はファミコンの発売、普及に伴い幾多の名作を生み出してきた。しかし忘れてはならない。その裏に何万本ものマイナーゲームが存在したことを・・・。この講座はファミコンソフトを中心に、そんなマイナーゲームに光を再び当てるための基礎能力を養成することが目的である。(伝田裕康)


第1章 マイナーゲームとは?

 ここで私が言う「マイナーゲーム」の定義をあげておこう。まず、基礎となる要素は3つ。その1 古い その2 それなりにカスゲー その3 でもだれかがもっていた である。ここに、「今はまず売られていない」がつけば、完全にマイナーゲームである。ただし、その2に関しては実はあいまいである。どちらかというと名作といえるようなものも存在に加えてもよい。私はその1と「売られていない」が特に重要であると考える。まっ、結論から言わせてもらうと、それなりのプレミアがつくようなものなら何でもOKだ。だが、ここで1つの疑問が生じる。「マイナー」の意味が矛盾を生じるのだ。この点に関してマイナーゲームの第一人者であるオルドゴーン・ホリリン長野大学教授(注・架空の人名です)は著書「わが女装」の中でこう述べている。「マイナーとは過去でなく、現在を基準としているのだ」私もこの考えは賛成である。そう、ここでいう「マイナー」とは今、世に出ていないことを述べているのだ。この時点において、「トランスフォーマー コンボイの謎」はマイナーからはずされる、ただのクソゲーである。まとめとして、マイナーゲームとは、「今は出回っていないが、何かノスタルジアを感じさせるクソゲーorそれなりの作品」であろう。さあ、今日からファミコンショップに入り、マイナーゲームに光を与えようではないか!!


第2章 ナムコミュージアムの意義

 さて、前置きはここまでとして、第1章において、マイナーゲームの定義付けを行った。そのまとめとしての定義は、「今は出回っていないが、何かノスタルジアを感じさせるクソゲーorそれなりの作品」ということであった。私もこの見解には賛成の意を示そうと思う。ところで、この引用中の「ノスタルジア」という言葉に注目していただきたい。手元の辞書を引くと、

   nostalgia=郷愁、ノスタルジア(プログレッシブ英和辞典)

と出ている。あまり説明になっていない。いかにも辞書的説明である。国語辞典が手元にないので勘弁していただきたい。だが、「郷愁」の意味は、誰しもニュアンスとして分かるであろう。ふるさとをなつかしむ思い、ともすると今にも帰りたくなるようなホームシック的現象を引き起こす事さえあるような、そのような思いのことであろう。この言葉、おそらく伝田氏は何気なく用いた言葉であろうが(余談になるが、彼の行動はまさに恣意性に富んでいるといっていいだろう)、マイナーゲームを語るのには的確すぎる言葉ではないだろうか。なんとなくなつかしい、あるとき不意にまたやってみたくなるようなゲーム。これこそが我々の語るところの「マイナーゲーム」であろう。我々はそんなゲームを求めて各地を探訪しているのだ。別にやりたくもないのにコレクションとして集めている連中とは訳が違う。そんな気持ちが私に秋葉原で「ナッツ&ミルク」を買わせたのだ。
 誰しも、忘れ去られたマイナーゲーム(巷ではしばしばなつかしのゲームなどとも呼ばれている)をまたやりたい、という心理がある。特にファミコンのオールドファン、すなわち我々の世代においてそれは顕著であろう。そのような中、ある一連の、まさに画期的としかいいようがないゲーム集がプレステにおいて発売された。それこそが「ナムコミュージアム」である。
 ナムコミュージアム・・・我々の間にもはやこれを知らぬ者はいないであろう。そうこれこそが、我々の求めるマイナーゲームが凝縮された、いわゆる復刻版なのである。ここでいう復刻版とは、ファミコン版あるいはアーケード版に忠実な移植でなくてはならない。グラフィックや音楽がよりリアルになっていたり、アレンジされているものも、それはそれでいいが、やはり「原点に帰る」ことが我々の第一目標である以上、本来の目的とは離れるものである。その点、このナムコミュージアムは原作に忠実にできており大変よろしい。そして1枚のソフトに4−5種類のゲームが盛り込まれているのがまた魅力的である。1種類だけだと、昔のゲームはどうしても単純さがあるだけに(それがまたいいのだが)、飽きがきてしまう。その点も見事にカバーしているといえよう。とくにvol.2は我々の心をとらえた。マッピーを愛する私も、ゼビウス、ギャプラスを愛する伝田氏も絶賛である。このあたりのゲームはまさにナムコの初期の全盛期のものであったということができるであろう。なぜならこれらのゲームは実際、今も根強いファンが多いはずであるから。(我々を含めて)
 以上述べたように、プレステにおけるナムコミュージアムの発売は、マイナーゲーム界に大きな衝撃を引き起こしたということができるであろう。任天堂に同じような復刻版の発売を望んでいるのは、私だけではないはずだ。


第3章 売れる続編 売れない続編

第1節 続編の一般的傾向

 さて、今回は「続編」というものについてふれてみたいと思う。巷には「なんとか2」とか「3」といった、いわゆる続編もののゲームが数多く出回っている。この「続編」がでるためには、いくつかの条件があげられよう。まず、原作すなわち「1」がそこそこ人気が出ることが前提条件であろう。かつ、続編を作る意味や、つながり性といった要素が加味されて、続編の制作へと向かって行くわけだ。
 しかしこうして作られる続編は、必ずしもヒットするとは限らない。むしろ両極端となってあらわれるのが大抵である。つまり、超ヒット作となるか、「1」以下のクソゲーとなるか、である。前者の代表としては、「ドラクエ」や「FF」などを誰しもあげるであろう。こうしたゲームになると、「3」、「4」、・・・とどんどん続編が出ていく。後者のほうは、代表としてあげろといわれると難しいかもしれないが、誰しもそういう感情を抱いたことはあるであろう。ちなみに私としては、「ドラキュラ2」「聖剣伝説2」「ロマンシングサガ2」などをあげておきたい。
 ところで続編をこうして分類するときに、私として引っかかるゲームが2つある。まず1つは「北斗の拳」である。このゲーム、いつもたいして話題にならないくせに、いつの間にか「7」だか「8」まで登場している。いったいどういうゲームなのだろうか。ゲームの内容的にもつのであろうか。甚だ疑問である。もう1つは、今やすっかりおなじみの「麻雀大会」。この手の麻雀ゲームで続編を出すとは、といった感じもするが、実際のところはかの堀渕陽平氏のはまりようを見る限り、決してクソゲーではない。どういうもんか。ただああやって歴史上の人物を使っていると、続編が出る度にキャラクターがどんどんマイナーになっていきそうだが。
 結論として、かの「サラディウス」シリーズの作者、萩原萩造氏の言葉をあげておく。

   続編を作るのは困難な作業である。制作者の腕一つで、前作をプレイしたプレイヤーの期待に応えることが         できるか、プレイヤーを失望させるかが決まってしまう。そう、続編を作るということは、一種の賭けなのである。

第2節 野球ゲームの宿命

 第1節で述べたように、続編というものには当たり外れが大きく、続編を作ることは一種の賭けであるといえよう。しかし、続編を作って行かざるを得ないゲームジャンルが存在する。それは、野球ゲームに代表される、プロスポーツもののゲームである(以下野球に話は限定して述べる)。この手のゲームは、実際の野球界における毎年の選手データの変化や選手の移籍などの関係から、常に最新のデータを導入した続編を出していかなければならない宿命にある。古いデータではファンは寄りつかない。今時巨人にサンチェがいる野球ゲームなどは問題外なのである。
 しかし、ただデータを新しくしただけでは、ただそれだけで面白味が無く、オリジナリティに欠ける。(ファミスタ87はそれでも意外に売れたようだが、今あのようなデータを新しくしただけの続編を出したらまず売れないだろう)なにか常に新しい要素を盛り込んでいかなければならない。たとえば、私などは野球ゲームを買う要素として、チームエディットの存在を必須条件としている。他にも最近の野球ゲームでは、オールスターあり、ドラフトあり、ホームラン競争あり、FAありと、趣向を凝らしている。経済学的に言う「客寄せのための手段」とでも言うことができるであろう。
 とにかく、野球ゲームをロングセラーとするためには、データの刷新だけでなく、常に新しいアイディアを盛り込んでいかなければならない。制作者の手腕と独創性が問われるといってよいだろう。


外伝−−−あなたのMG度チェック

 下に記してあるゲームの題名、一回でも聞いたことがあるものを数えてみてください。

・メタファイト ・エスパ冒険隊 ・アタックアニマル学園 ・ホワイトライオン伝説 ・愛戦士ニコル ・ハオくんの不思議な旅 ・カケフ君のジャンプ天国 ・とびだせ大作戦 ・アイギーナの予言 ・ダウボーイ ・水晶のドラゴン ・ココナワールド ・リサの妖精伝説 ・レイラ ・ファリア ・アルマナの奇跡 ・エレクトリクシャン ・ダババ ・ゴルゴ13 ・ファザナドゥ ・バイオ戦士DAN ・バードウィーク ・星をみるひと ・銀河の三人 ・アスピック ・まもるもせめるも ・未来神話ジャーバス ・子猫物語 ・コスモジェネシス ・亀の恩返し ・アップルタウン物語 ・うっでぃぽこ ・リップルアイランド ・彷魔が刻 ・ナゾラーランド ・銀河伝承 ・スーパーモンキー ・チェスターフィールド ・デビアス ・バーガータイム ・ヒットラーの復活 ・月風魔伝 ・Bウイング ・バトルシティ ・バナナ ・きね子 ・スーパーピットフォール ・戦場の狼 ・千代の富士の大銀杏 ・寺尾のどすこい大相撲 ・殺意の階層 ・メトロクロス ・クインティ ・3Dホットラリー ・ハットリス ・ヘラクレスの栄光 ・ボンバーキング ・松本亨の株式必勝学 ・不如帰 ・新・鬼ヶ島 ・探偵神宮寺三郎シリーズ ・ビーバップハイスクール ・花のスター街道 ・アルゴスの戦士 ・マイティボンジャック ・シティコネクション ・ロードファイター ・スクーン ・スカイキッド

 15個以下−−−ファミコンもってたの?
 16−25個−−−一般人レベル
 26−35個−−−けっこう通ですね
 36−45個−−−MGMになりたいのならこれぐらいは・・・
 それ以上−−−バカです。死んでください。


第4章 ゲームミュージックの在り方

 さて、ゲームには音楽がつきものである。それはなぜかといえば、やはりゲームの雰囲気を盛り上げるためであるということができよう。最近のゲームでは、有名な作曲家が音楽を手がけているゲームもある。その最たる例が「ドラクエ」のすぎやまこういちであろう。(ちなみに東京・中山競馬場のG1のファンファーレもすぎやまこういち作曲である)しかし、もっとも重要なのは、ゲームの雰囲気にあった音楽にすることであり、また同時に、時としてプレイヤーにインパクトを与えるような音楽であるべきである。極端な話、野球ゲームに「トッカータとフーガ」を用いるようなことは、いくらそれがバッハの名曲だといえども場違いなのである。
 私が思うに、音楽という点においてもっとも称賛されるべきは、やはり「ドラクエ」であると思われる。このシリーズをプレイした者なら、だれしも印象に残っている音楽がいくつかあるであろう。オーケストラ版のサウンドトラックを聞くと、そのすばらしさがさらによく分かる。(対照的に、私としてはFFの音楽はあまり印象に残るものが多くないのだが・・・)
 しかし、そのようなすばらしい音楽でなくとも、印象に残る音楽は作ることができる。まさにそれは「シンプル イズ ベスト」の世界であり、その例としては、やはり「スパルタンX」が代表格であろう。そういったテーマは、知らず知らずのうちに頭に焼き付く。そして後にそのゲームを懐かしのゲーム、マイナーゲームとして語るとき、「ほら、あの音楽のやつだよ」とちょっと音楽を口ずさめば、「ああ、あれか」と思い出す人間が必ずまわりにいるはずである。
 要するに、音楽の良し悪しは、必ずしも曲の良し悪しと一致するものではない。ゲーム内での雰囲気やインパクトとあいまって決まるものなのである。


第5章 パッケージイラストのインパクト

 今回は一風変わった観点からMGMを眺めてみよう。近頃PSやSS、NT64などのソフトのパッケージイラストは、ケースの統一化、バックの色の統一などにより、特にこれというものはなくなってきた。その上、進化したグラフィックはパッケージイラストに違わず、いやそれ以上にすばらしいものである。だが、進化前はどうだったのか・・・?一例をあげよう。君たちは「スターラスター」という、知る人ぞ知るMGを聞いたことがあるであろう。筆者は幼き日、そのパッケージの美しさに魅せられ、子供には大金の4900円をはらい、そのソフトを購入した。結果はいわずもがな。筆者はその他、「アーガス」「ヘクター87」「宇宙警備隊」と続けざまにパッケージにだまされ(?)、いや魅せられ手に入れ、そして涙を流した。東北大学でシミュレーションゲームの研究とPCエンジンの研究の第一人者、原山氏も昔「バンゲリングベイ」に魅せられ、手にしたと語ってくれた。この結果を見ると、シューティング系のMGはなかなか曲者という仮説がたてられる。他にも「テグザー」「頭脳戦艦ガル」「バルトロン」等、おもいっきりパッケージを裏切るMGシューティングは後を絶たない。しかし、実際の所、MGになればなるほどジャンルを問わずパッケージは派手になる傾向がある。(そして内部はひどくなる?)「おニャン子タウン」「スカイデストロイヤー」等、パッケージは非常におもしろそうである。ただし、内容があまりにひどすぎると、目立つパッケージゆえ、「ほら、あのゲームだよ。」と簡単に識別され、より大量に店頭に残ることとなる。「ハイドライドスペシャル」「ファミコンジャンプ」が良い例か。適当にパッケージが目立ちつつ、MGな内容を保つ、大変むずかしいがそれを超えてこそ真のMGであろう。文章を加えるのも効果的だ。「ボンバーマン」の”驚異640KB”、「火の鳥」の”史上初!1MB!!”。何という自信だろうか!今から見ると、この言葉に歴史的価値すら見いだせるであろう。MGMになるために、パッケージの価値と内容の価値を見いだす眼力を養う必要があるのだ。